出会って間もない頃、オスカーはリモージュに対して特別な気持ちを抱いているというわけではなかった。金髪のふわふわした可愛らしい、どこかぼんやりとした少女だという印象ばかりで、年もけっこう離れているし、話題もそれほど共通することもなく、廊下ですれ違った際に挨拶をしてくる彼女に軟派な言葉をかけてやる程度の関わり合いだった。それはオスカーが宮殿の中のメイドや女性の職員たちと接触する方法と何ら変わりはなかった。繊細で可愛らしい女性という生き物が好きで、外見や性格のおかけでちやほやしてくる彼女たちに囲まれることが毎日の楽しみであったし、時に頼まれれば二人きりで外を散策したり食事に出かけたりして、彼女たちを喜ばせることに最上の喜びを抱いていた。女性たちの頬が赤らみ、嬉しそうにはにかむ姿ほど可憐なものは他に存在しないだろう。
 花束。
 菓子。
 装飾品。
 これらのものをプレゼントすれば大抵の女性たちは喜ぶ。自分の顔を見上げ、目をうるませたり微笑んだりする素直で従順な恋人たち。
 約束。
 秘密。
 献身。
 そして彼女たちはいつしかオスカーという男性を愛し、独占しようと奮闘する。
 自分が聖地で浮いた存在であることをリモージュは最初から分かっていただろう。彼女はとりわけオスカーという男性に興味があるわけでもなさそうだった。廊下ですれ違って頭を下げる程度、というのが二人のただ一つの現実だった。オスカーは毎度のこと彼女の柔らかな姿を見て「お嬢ちゃん、今日も可愛いね」という言葉をかけてやっていた。そのたび彼女は「やだ、オスカー様ったら」とくすくす冗談交じりに笑ってオスカーの横を通り過ぎていった。それがオスカーには日頃からの小さな違和感だった。普通、女性たちは自分と話したくて廊下の途中で立ち止まるはずなのだ、手に仕事の資料を持っていようがほうきの柄を持っていようが、オスカーの目前であれば。オスカーは一時的に仕事を放り出すことに対してはある程度寛容であったし(そもそも自分のせいで仕事を中断させているわけだから)、できれば一日のうちなるべく多い時を女性の高い声を聞きながら過ごしていたかった。仕事に対しては熱心なオスカーだったが、自分のために彼女たちが業務を放って立ち止まることは決して軽蔑すべきことではなく、むしろ愉悦となっていたのである。
 だが、金髪の少女だけは立ち止まらない。決してオスカーという男の前で歩みを止めることはない。彼女は可愛らしくオスカーに微笑み、両手にたくさんの勉強道具を抱えて横を過ぎていくだけだ。短いスカートをひらひらさせて、柔らかな金髪をくるくるさせて。オスカーは彼女が少し通り過ぎたところで立ち止まって後ろを振り返る。彼女は相変わらず背を向けて前へと進んでいる。名残惜しそうにオスカーに振り返ることもしない。ただ向こうへと遠ざかっていく。離れていく。
 そんな行動を取られたことは自分には初めてだった、とは言えない。オスカーという色男に興味を持っていない女性もたくさんいる。すれ違ったまま振り返らない女性も、別の男性と結婚する女性も、幸せそうな家庭を築いている女性も。女性にも選択する権利があるのだ。だからリモージュもまた自分に関心のない女性の一人なのだろうと思った。素っ気ない後ろ姿は、彼女にきっと別の好きな人や恋人がいるからなのだろうと。そう理由を付けて理解しようとした。

 だが、そんなことを考えている自分の奥底に、リモージュという少女に対して何か普通ではない意識が芽生えていることをオスカーは自覚していた。

 それが確信に変わったのは、ある夕暮れ時のことだ。リモージュが珍しく廊下の途中で立ち止まり、両手にノート数冊を抱えたままぼんやりと夕日を眺めていた。オレンジ色に照らされる彼女の金髪がきらきらと瞬いているのを目に痛く感じながら、オスカーは彼女に近づいてそっと尋ねた。その際に彼女と少しだけ距離を置いて立ち止まった自分にオスカーはひっそりと苦笑した。
 一体どうしたのだと尋ねると、リモージュはオスカーを見上げ、何やら不思議な笑みをたたえて答えた。

「愛に生きる人もいたのですって。女王候補だったけれど、愛する人を見つけて道を変えた人が」

 愛という、自分の関心のあるテーマがリモージュの口から漏れたので、オスカーはチャンスだと思って再び問うた。
 それもまた一つの選択だ、もしお嬢ちゃんも同じ立場になったらどうする?
 問いかけをしながら少し心臓がどきどきしている自分がいた。

 リモージュは急に強い瞳でオスカーを見据え、とても明瞭な口調で答えた。

「女王になった私を愛してもらうわ」

 それは、聖地のシステムには矛盾した理想だった。
 だが、この瞬間、オスカーは確信したのだ。自分はこの少女を愛するだろうと。
 軟派だとか遊びだとか一時的だとかそういったことは彼方へと葬られ、自分は本気でこの少女に傾倒するだろうと。
 彼女の強い眼差しがオスカーの心臓を一瞬にして貫き、その傷口をちりちりと焦がしていった。
 激しい動悸が止まらない。強い強い感情と高揚感が手足の先まで侵していく。

 これから自分は彼女への愛の苦しみを知り、その痛みにのたうち回るだろう。
 宇宙を統べる存在を目指す彼女は普通の女性のように自分を愛さない。決してぶれることはない。オスカーという男を独占もしない。
 そんな女性を愛して自分に一体何の得があるというのだろう。
 だが、この強く凛々しい女性に愛されるとしたならば、それはなんと尊きことなのか。

 リモージュは、いつものようにオスカーの横を通り過ぎていった。抱えたノートに刻まれた講義内容を復習するために自室へと戻るのだ。
 取り残されたオスカーは廊下に立ちつくしたままだったが、確信が生まれた今、己の心に迷いは無かった。

 自分はいつか必ず彼女に跪き忠誠を誓うだろう。
 女王となったあなたを愛し続けます。たとえあなたが万人のものとなり、自分のものにならないとしても。
 あなたに密かに愛されたいという願いを心に抱きながら、自分は一生あなたに恋い焦がれあなたを求め続けるでしょう。
 広い宇宙をたった一人で支えるあなたの苦しみに自分の苦しみなど到底かなわないけれど、苦痛を抱えたあなたごと包み込み護っていきたいから。
 この力が尽き果てるときまで。

 夕暮れの光はやがて冷え、夜の覆いが宇宙の星々を透過させていくだろう。

 オスカーもまた彼女の方を振り返ることなく歩みを再開させ、前へと進んだ。